●●●はじまりは何だったのですか?●●●
2007年日本航空退職後、某航空会社立上げのお手伝いなどをしていた時に、日本航空時代の先輩から「天草エアラインの社長の話」があるけどやってみないか?と1本の電話から始まりました。
●●●なぜ、当時のような状態(赤字)の会社を引き受けたのですか?●●●
自分にとって、再び航空業界に関わることは魅力的な話でした。
また、仕事人間の性なのか?このまま隠居生活になりたくないという思いもありました。しかし天草エアラインの経営状況などを研究すればするほど、まさしく火中の栗を拾いに行くようなものかと躊躇する気持ちもありました。
しかし、楽観的な性格から「ここまで悪化しているんだから、これ以上悪くもならないだろう」的な考えと、熊本県や天草市などの地元2市1町による機体整備費の全額補助が決め手となりました。
加えて、天草という土地に魅力を感じており、「一度は天草に住んでみたい」と考えていたのもあります。
●●●就任中一番苦労した点は何ですか?●●●
格安航空会社(LCC)の登場です。
就任3年目ころから日本に定期便を乗り入れるようになり、価格競争の激化にもなりました。また世界的にパイロット不足の傾向があり、パイロットとCAが一気に売り手市場へと変化していったのです。一人前のパイロットを育てるのに約10年かかります。苦労して育ててきたパイロットを簡単に引き抜かれては、飛行機を飛ばせなくなってしまいます。
●●●就任中一番うれしかった事は何ですか?●●●
社員、スタッフと一致団結できた事です。
就任当初は、社内が閉塞感に包まれていました。明るい話はほとんど無く、暗い話ばかりだったように記憶しています。しかし、皆と良く話をしコミュニケーションを取ることで、課題や改善点など見えてくるものがありました。先の話でも出ましたが、パイロットの転職の時も、事前にちゃんと相談してくれたり、社員との間に信頼を築けた事が本当に嬉しかったですね。
●●●就任中の一番の思い出は何ですか?●●●
たくさん思い出はありますが、一番の思い出としては新しい機体の購入に至った事です。
赤字続きでいつ倒産してもおかしくない状況から、社員・スタッフが一丸となり黒字経営にまで建て直せた結果、新機体の購入に至りましたので本当に嬉しかったです。皆のモチベーションも上がりました。
また、ここまでやってこれた要因のひとつ、小山薫堂さん・パラダイス山元さんとの出会いも心に残る思い出です。
アイデアや企画など、絶大なるご協力をいただきました。そして彼らに出会えた事で、大きく飛躍する事が出来ました。本当に感謝しています。
※画像は、奥島さんが社長就任中の時に「唯一の大事な飛行機」の洗浄をしている一コマです。